フランス語の数字について考える
石原慎太郎氏(旧都知事)が、フランス語は、数を数えられない言語だから、国際語として失格だ。
と言ってましたが。橋下徹氏(旧府知事)が、文楽は古いしつまらないと言った発言に似てます。
たいへん支持率の高い人たちですので、それについては、何も言えませんが、
そういう日本語も、10,000を10千(dix-mille)と言わずに1万と読むし。カンマの意味ないじゃん。
それはさておき、フランス語の数字って、なんかとっても面白い数え方をするのです。
60(soixante)までは、普通に10進法で良いのですが、70は60、10(soixante-dix)と読みます。
80は、4,20(quatre-vinghts)です。ですから90は、4,20,10です。(quatre-vingt-dix)
フランス語を習い始めて、最初になんじゃこりゃ~あ、と壁に感じるのですが、
慣れてしまえば、別に気にならなくなるのです。
しかも、このまどろっこしい数字の読み方をフランス人は、
案外好きなのではないでしょうか?
映画「アメリー」冒頭のナレーションを抜粋してみました。見て下さい。
1973年9月3日18時28分32秒、はえの家族が楽しく路で遊んでいた、
1分間に62,670回羽をはばたいて、2秒後にこの世から消えることを知らずに。
同じ頃、9区のトルデ通り28番地の6階に住むコレさんが、・・・
こんな3行に、いくつ数字が出て来たことか、これは数字に負い目を持ってない証拠です。
では、この意見の相違はなんなのでしょうか?
ここから、僕の極論タイムです。
これは、数字を文学つまり感性でとらえるのと、記号つまり知性でとらえる違いでは
日本では、数字を文学にすることが出来なかったでは、つまり生活に根付かなかった。
夜中の2時頃と言われるより、草木も眠る丑三つ時のほうが感性にふれた。
一方、フランスでは数字が日本以上に古くから生活の中に取り込まれていたのかもしれない。
例えば、70分といえば知的だけど、1時間10分と言えば、少し感覚的になります。
リンゴを10進法が良いと言って5つに切る人はいません。だいたい4つです。
方角もそうですし、時計の読み方も針の位置で見るなら、20分とか40分は、確認しやすい。
つまり、フランスの数字はより生活に近いところに存在していたから、このような
読み方になったのでは、ないでしょうか?
日本は、時計がないし、丑寅の方角とか、師走とか春はあけぼのとか言ってるから、
生活の中に数字がない。
お陰で、明治以降、数字を徹底的にただの記号としてとらえることができた。
九九なんて、まさにただの記号遊びですね。
逆に、数字を記号として割り切れないフランス人は計算がとても苦手である。
と言ったまあ、勝手な考察をしてみたわけです。
じゃあどっちが、数を数えられない言語なのか、つまり論点が違ってたわけですね。
感性のフランス語に、知性の日本語ってことで、よしにしましょう。
しかし、これはたいへん重要な問題だと思うのです。
僕たちは数字に限らず、言語を記号として知性の表れとして使うのか
それとも文化の表現として、感性の現れとして使うのか、
じっくりと考える必要があると思うのでありました。