演劇の立ち位置
戦後、GHQが日本にしたことは、教育の変革による思想教育と日本から文化を奪うことでした。
それは、みごとな成果をあげたと思われます。
そして、彼らが文化を奪う代わりに与えてたのが、セックス、スポーツ、スクリーンだったと言われています。
ああ、そうか、スクリーンもなんですね。
映画に必要なのは、拳銃と女だと言った人もいたような。
そう思えば、映画って奴は、そういう性質の物なのかもしれない。
ヌーベルヴァーグといえば、聞こえが良いけど、結局のところ
映画を通じて、行われた啓蒙思想の伝達だったのだろうか?
実際映画は、その時その国の事情により変化を強いられた。
国民に対する思想教育の手段として使われたとは、間違いないだろう。
今、現在でも、映画は商業的な洗脳の材料として、利用されているし
そこが、資金源なのだからしょうが無いということなのだろうか?
セックス、スポーツ、スクリーン、確かにこれらにうつつを抜かしてたら
文化なんて、どうでもよくなりそうだ。
そんな折、夏目漱石の草枕の冒頭の一文は、実際心洗われるような気がする。
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、
寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
この芸術の士はという表現がカッコイイ
もちろん、僕は詩人でも画家でもない。
ただ、僕は、ここに演劇の立ち位置を見たような気がしたのですが。
詩人か~。難しいけど、頑張ろっと。