Tauveron films の The blood にちょいと出演して
フランスの自主製作映画に出演しました。この写真は、その時の一コマで、監督さんから頂きました
大塚駅の近くの公園なのですが、日本とは思えいないような綺麗な絵ですね。
照明も使わず、自然光だけです。光のタイミングを見事に捕らえて撮影してるようです。
最近、インデペンデントの映画に参加することがしばしばあるのですが
ここで、フランスと日本の温度差を感じる事がありました。
少ない出演で、ステレオタイプに語るのは、とても危険ですが・・・
また、僕という人間が、フランスでの評価と、日本での評価が違うからなのか
定かではありませんが、ふと思ったことです。
日本の場合、出演の終了は、人間関係の終了でもあるような寂しさを感じる
フランスの場合は、撮影が新しい人間関係の始まりのような気になれる
こんな事は、僕だけが感じたことだと思います。ただ漠然とそう思いました。
しかし、この希薄な人間関係は、どうにかならないモノかな?
自分にとって、メリットのない人とは、友達でいられない的な・・空虚感
距離感の喪失
ツイッターとかで、つぶやきあうだけが、友達であることの確認であったり
同じ趣味を持つことだけが、一体感であったり
SEXと愛だけが、最高の人間関係だという幻想だったり
差別意識だけが、いろいろと発達してしまって、勝ち組負け組、男女、金持ち貧乏
老若、有名無名、とかとかとかとか、も~同じ人間でしょうが
何か忘れてるのかも、大事なことを、僕たちは・・
同じ釜の飯を食うという言葉がありますが、
それだけ仲が良くなった間柄のとこですよね
スポーツ選手が合宿したりするのは、まさにこういう状態にしたいからでしょう
ふと、思うのです。映画の撮影をして
同じ釜の飯を食った間柄だよね的な関係になれないのなら
それは、僕も含めてきっと何か問題がありますよね。
撮る側と、撮られる側なんて区別してないでさ、とにかく同じ体験の共有すること
それだけを目指しても良いと言っても過言では、ないかもしれない
貧乏な僕たちが、輝いていられる瞬間を共有して、みんなから羨ましがられるほど
楽しくてしょうがないみたな、体験と友達を作らないとだめじゃないのかな
作品の内容なんて、ものはもはやどうでも良いのですよ。
そう、あるべきでしょう。いや、そうなったらいいな~
じゃないといつまでも、誰かに利用されるだけの集団になってしまうよ。
あ~あ、ちょっと言い過ぎですかね・・