表現について
またまた小林秀雄シリーズです。朗読したときに参考資料として読ませて頂きました。
この中で、expressionという言葉に、「表現」という訳語は、あまりうまい訳語ではない。
元来、この言葉はものを押し潰して中味を出すという意味だ、という一節がありました。
僕は思うに、同じようにpassionと言う言葉が「情熱」とう言葉で訳されてます
ポジティブ思考の人が好きそうな言葉ですが、Passionといえば「受難」
の意味で、実は能動的な意味合いは無いですよね。
もちろん、これらの言語は、宗教上の意味合いが色濃いので
簡単には、理解も説明もできないことだと思いますが、
おおかた、表現にしろ情熱にしろ、なにかしらの外圧や苦難からの解放
といった、イメージなのでしょうか?
そういえば、最近見て面白かった映画でいえば、ペルシャ猫を誰も知らないとか
ミルクとか、とか、映画やドラマのほとんどがそういった内容ですよね。
さてさて、困りましたね。
このexpressionで、日本のわびとか、さびとか、かけとか、・・表現できますかね
よく、言われるのが宗教にしても、藝術にしても最終的には、同じ事を言ってるんだろ
西欧も東洋もないよ、究極おなじ場所に到達するんだろってね。
かなり乱暴ですが、そう思ってる人は案外多いですよね?
そういう、僕もその一人だったのですが
科学全盛のこの時代では、結果が同じなら、皆同じもの的な発想が主流ですが
いやいや、まてよ、スタートが違うと、それはまったく質のちがうものなのでは・・・
かにかまを食べて、かに食べた気になってるような
紙一重って、言う言葉がありますが、つまり、まったく違うものと言うことですよね。
プレッシャーをかけて、絞り出すように出てきたものを表現する世界と
無から、または無へむかうなかで、うまれるものを表現しようとする世界、
無から有を、作り出すことは、もちろん神を冒涜しますので、西欧では厳しい?
これって、おなじく藝術の表現手段ですが、少し違いますよね。
ただ、悲しいかな、日本の芸能界の現状は、99.9%が前者の方式ですか?
新劇にとどまらず、映画やドラマ、歌舞伎に至るまで、これじゃないですか???
僕自身は、前者以外のアプローチを教わったことは、ありません。
しかし、思うにこの願えば夢は叶う的、ポジティブシンキングな表現方法は
逆説的に、裏ではネガティブな状況を欲していることになりませんか?
究極なければ最後は、薬にたよるとかね・・・、極論を言ってるんですよ(すいません)
つまり、自分の置かれた境遇だとか状況だとか時代背景とかに影響を受けますよね
しかし、後者の場合はどうですか?日本の故人の知恵はすばらしくありませんか?
へへ、おいおい能書きは良いから、そういう映画作ってみろよって、
お叱りが、聞こえてきそうです。そうですよね。頑張ってみたいです。
言うのは、簡単ですね。風呂屋の亭主ですね。ゆうばっかり