理論と実技の狭間で
僕は、考え事が好きなので、理論派のほうだと思います。
ていうか、あまり演技を褒められたことがないので、理論派にしておいたほうが気が楽だ。
もちろん、理論の限界は、理論によって知っているつもりです。
そして、演技というのは、間違いなく実技で理論の必要性はあまりない。
事実、理論を全く無意味だと、嫌う人も多いのが現状でしょう。
まあ、出来もしないで、理論を並べられたら、イラッと来るのも分かりますが
特に、売れている人で、理論を口に出す人は、皆無に近いでしょう。
いつしか、理論とは、負け犬の遠吠え的な色合いが濃くなってしまった。
仕事が順調だからと言って、理論を敬遠することが
事故は起きないから安全対策しない、どこぞの会社のようでは困りますが
口に出さないだけで、皆さん自分なりの理論は、持っている事と思います
じゃあ、なぜ理論を語ろうとしないのか・・・
自分の理論を盗まれたくないから
理論を語ることが、売れてる人間として恥ずかしいから
もともと考えたことがない
理論どおりに実技できないとみっともないから
そもそも、そんなものは共有するものではないと思っている
さてさて、どうしてなんでしょう
ま、そんな薄い話は、この辺にしておいて、ここから勝手な持論の展開~
ある物事を学ぶとき、理解することと会得することは違います。
会得するという言葉に、対応するいい感じの言葉が中国語にもフランス語にもない
残念ですけど、でも日本人ならこの違いは分かりますよね。
つまり、実技とは、理解しただけではだめで、会得しないと意味がない。
さてさて、ここで、理論とは、理解するために必要で、会得したら忘れるもの
そう、だとしたら、理論を引きずっているうちは、会得できていない証拠。
次に会得した人は、理論を忘れてしまうから、語ることが出来ない。
有名人が理論を語らないのは、もう出来てる人だから!(そう願いたい)
すれば、理論を語ることは恥ずかしいことと思う人がいても不思議でない。
みごと解決。笑
でも僕は、理論を否定したわけでは、ありませんよ、大好きですから
それに、会得出来てないことだらけですから、理論は捨てられません。
逆に、理論を否定してる人は、自分の出来ないことがわからない人
かも知れませんよ。それに、すべて出来る人って、少しかわいそう
理論とは、自分の至らないことを確認するためのもののようです。
最後に、難しい問題を残しました。
もともと、理論とは、技術を人に伝える為にあると思っていました。
だから、必要だと、自分も大切にしてきました。
しかし、人にほんとうの技術を伝えるのは、結局
見て学べとか、口伝にて、伝えるとしか出来ないのでしょうか
最後にフランスの心理学者、哲学家ジャックラカンの言葉がよぎります
「わたしはつねに真理を語ります。でもすべてではありません。
なぜなら、真理のすべてを語ることは、素材的に不可能だからです。」
理論が言葉によって、構成されている以上、真理に近づけないって事ですよ