Archive for the ‘雑感’ Category
アランコルノー監督と映画
8月30日フランス映画界の巨匠アランコルノー監督が亡くなられました。67歳でした。サルコジ大統領も追悼のコメントを出したようです。 なんとも、早すぎる死にどうしたらよいのか、分かりません
今年は年賀状を出しそびれて、気になっていたのですが、まさか
とにかく
監督の映画に出演できた事は、僕の人生の最大の転機になりました。
僕のような無名でしかも、芝居もへたくそな俳優をよく使ってくれました。
監督のその英断と勇気に、感謝と尊敬の気持で一杯です。
イヴモンタン、ジュラルドパルデュー、マリートランティニオン、ソフィーマルソー、カトリーヌドヌーヴ、シルビーテステュ、モニカベルッチ、ダニエルオートユイ、セエルジオロペス、ミッシェルブラン、ルデュビーヌサニエ、などなど、そうそうたる人達に演出してきた監督が、僕に対しもほんとうに同じように差別無くトレビアンと言ってくれた。
こんな光栄な事が、他にあるでしょうか?ちょっと、ちびるでしょ。普通。
モニカベルッチさん曰く、フランスの全ての俳優が監督の映画に出演したいと、こころから願っている。
出演できて、女優としてこんな幸せはない。
そして、現場は毎日が映画学校に通っているようだったとコメントしてました。
シルビーですら、オーディションで、足ががたがた震えて、台詞が言えなかったと言ってました。
芸術の都パリで、芸術としての映画を、理想郷のような現場を作り撮影する。
まさに、俳優にとってそこは、パラダイス。
天才肌の女優を起用しては、思う存分実力を発揮させる、まさに神業です
学ぶ事がありすぎる。しかも、理想すぎて、現実的な日本では無理
いや、きっとフランスでも難しい。
言葉の壁も何のその、気持はすごく伝わってました。それも、びっくり
フランスの各紙は、映画芸術の功績を讃えると共に、人柄についても褒めていました。
ほんとうに素晴らしい人でした。
昔頂いた手紙の中に、地球の裏側にこんな素晴らしい友がいる事を、誇りに思うと書いてくれました
なにを、言っているんですか、誇りに思うのは僕の方ですよ
ほんとうにほんとうにほんとうに、ありがとう。
こころから、ご冥福を祈ります。
竹脇無我さんと舞台
僕の大好きな、俳優、竹脇無我さん
でも、実は、最初会ったときのイメージは最悪でした。
まあ、そもそも、最初会ったときは、僕は喫茶店の店員でした。
無我さんが、お客として、来て、僕が「焼きうどん」作って出したんです。
そしたら、わざわざ調理場まできて、
「おまえか、これを作ったのは!、味がついてないぞ、ソースをよこせ!」
えー、醤油で味付けしたのに~。
で、だんだん好きになりかけたのは、稽古場でのある日
僕が着替えていたら、無我さんが来ました。
僕は、むかつくと挨拶をしません(よい子は絶対真似しないように)
その日、僕は無視を決め込んでいたのですが、
無我さんのほうが、気がついたのか、こちらをちらちら伺ってました。
それでも、見ないふりをしていたのですが・・
とうとう、無我さんが、僕の方に寄ってきて、どうしたと思います
わざとぶつかってきたんです~
「おお、おまえか、いたのか、気がつかなかったよ」
「ああ、どうも、いましたよ」
「おはよう」
「おはようございます」
てなかんじです。可笑しいですよね。
あと、見てはいけないものを僕が目撃したときとは・・
「おまえ、これ口止め料だから」と一万円くれたり
稽古場で、じーと芝居を見てたら・・急に寄ってきて
「おまえ、そこで人の芝居みて馬鹿にしてるだろう!」
といちゃもんつけてきたり、けっこう笑えます。
「おまえは、世界一芝居がへただ」とか言いながら、だめ出ししてくれるし、
今では、ほんとうに大好きな俳優さんになりました。
すごく為になるお話もいっぱいしてくれるし、・・・
身分の差は、すごくあるけど、それを補って埋めるほどの長い時間を共有できたこと。
そして、今、こころを割っていろんな話ができること
お互いに、認め会える事、
そして、今自分のめざす場所が、意外と近いのかもしれないと思い始めた事。
こんなすばらしい関係を築けた事、
面白かった事、悔しかった事、辛かった事、いろいろもろもろ
そうして、時が流れて、今、こうして一緒に、生きていられる事に感謝します。
僕も早く無我の境地で、芝居ができますように
空気を演じる
僕が、自由劇場に入って一番勉強になったと感じているのが、空気を演じるという事。と、急に言われても解らないですよね。
僕たちは、卒業公演で、シェークスピアの夏の夜の夢をやりました。
ただ、やるのでは面白くないので、場所の設定を南アジアにしました。
卒公は、2月でしたので、外は雪そして、舞台は南アジアの真夏
ちなみに、自由劇場には、楽屋がほぼないので、外の駐車場で、待機です。
雪の中、裸同然の格好で、出番を待ちながら、
緊張で震えているのか、寒さで震えているのか、自分でも理解できない極限状況
そして、灼熱の太陽をイメージしながら、テンションを高めていく
まあ、そんなことは、どうでも良い事なんですけど、
つまり、どうやって、南アジアを表現するのか?ということを取り組んだわけです。
それには、セットであったり、衣装であったり、メークであったりするわけですが・・・
それだけではねぇ、で、演出家さんから出された課題が、みんなで一つの空気を感じよう
と言うわけです。南アジアに行ったときにしか吸う事のない空気を再現しようというわけです。
もちろん、貧乏なので、実際に旅行に行けないし、行った事もないし・・
それでも、みんなで勉強して、各自が思い浮かべるアジアの空気を感じながら演じてみる
それが、表現できたか出来なかったかは、さておき。このことは大変勉強になったし、楽しかったし
自由劇場の芝居作りのエッセンスなんだなとつくづく思いました。
そして、最近ですね、野口先生にヒントをもらいながら、
それとは違う、もう一つの空気がある事をなんとなく、感じています。
その空気感は、昔の日本映画
小津さんや黒澤さんや溝口さんの映画に出てくる役者さんが、持っていたある何かですね。
オーラなんていう言葉が流行りましたが、それとは、違うと思いますが、
とにかく、目に見えない物を表現するのは、難しいですね。表現じゃないのか~?
でも、それだけに楽しみもありますね。
仕事もないので、試す機会もなにもありませんが、まだまだ試行錯誤しています。
夢はきっと叶う?
願いは、きっと叶う。人が強く思えば、必ず実現する。
そんな、話をよく耳にしますよね。世に言うところの、ポジティブシンキングですよね。
まったく否定するつもりもありませんが、
非の打ち所がないすばらしい言葉ですから
ただ、願いが叶わなかったら?
自分は、ネガティブなので、すぐそう考えてしまうのです
きっと、努力が足りないからだとか、想いが足りないからだとか
いろいろ言われるんでしょうね。
でも、本当に頑張って願い倒したのにだめだったら・・・・
そのエネルギーは、どんなものに転化してしまうのでしょう
考えるだに恐ろしい。
もともと、西欧から来た考え方ですよね
日本の古典の中に、あまり見られない話ですし
だから、ひょっとしたら、日本人には合わないのかもしれませんよ
そこで、ほら、これ吾唯足知なんてどうですか?
楽ですよ、もう願わなくても済みますからね
それに、副作用もありませんよ、
やはり、日本人はこの境地が、似合うし、目指した方が良いのではと、思ったりしてます。
ただ、実際は、かなり難しい話ですけどね。
人が言う願いとか希望って、実はただの煩悩だったりしてね、
そうだとしたら、次元の違う話ですものね。
究極、欲しい物を全て手に入れたら、何もほしがらない自分が欲しくなるのでしょうしね?
あれ、何言ってるんだ?
集団心理を目指してみる?
集団心理といえば、かなりネガティブなイメージが強いのですが、このネガティブブログでは、あえて逆に考え直して、肯定してみたりして・・・
一匹のワンちゃんなら、可愛いけど、野良犬が集団を組んだら、とても危険です。
よく集団心理というと、個が集団に押しつぶされ流されるみたいなニュアンスに使われますが、ワンちゃんが、多数決したり、人目を気にしたり、流されたりするんですか?
じつは集団心理とは、個個がたくさん集まった結果なのではなく、ひょっとしたら、もっとダイナミックに個生物から、集団生物への生まれ変わりなのでは、ないでしょうか(*注意*かなり偏った考えです。)
いやいや、そいういう集団心理もあるのでは、という仮説にしましょう。
例えば、ミツバチは基本的には、群れで意思を持つと言われています。スズメバチに向かい闘うのは、なにも、個々のミツバチの犠牲的精神とか、愛国心とか、家族のためとか、そういう感覚ではないのでしょう
白血球が体に入ってきた菌と闘うみたいな感じなのでしょうか?
おいおい、人間は頭も良いし、考えもあるし人格もあるんだから、そんなわけにはいかんだろう。
そんな声が、聞こえてきそうです。その通りですね。
でも、ほんとうですか~それ??ここからは、さらに勝手な仮説ですよ。
個を捨てる技法を身につけていた日本人は、実はこの集団生物的団体行動を取る事が出来たのでは
しかも、確実にコントロールもできたのでは、もっと、すごい事は、実はこの行為は、自己犠牲なんて地味な感覚の物ではなく、とてもすがすがしい、爽快感を伴う作業であったのでは
だから、やめられないのよね。個を捨て、型に入っていく作業が・・・きっと。
日本人は、今でも国民全体が一方向に流れやすいと思うのだけど、そういう過去がそうさせているのだと思えば、少し気が休まります。か?それは、西洋の人が、もっとも恐れている事なのかもしれないですけどね。どうしても、戦争と結びつけて、考えるように学習されてしまいましたから・・・。
で、なんで目指してみるの?と言う事なのですが、
芝居は元来、祭りごと、祀りごと、で政りごとにつながった。
つまり、個性を主張する舞台も良いのだけど、それは西洋演劇の得意とする分野だから・・・?
日本人らしく、祀りごととしての舞台もやってみたくなったのです。勝手な思いつきです。
誰か、賛同してくれませんかねぇ~無理か・・・
自分の進む道
僕は、昔から正義感が強くて(自分で言うのもなんですが)曲がったことが嫌いでした。どんなにつらい事があっても、自分が正しいと信じた道を行く事が、人生なんだろうって思ってました。
しかし、どうなんでしょう?道徳観とか正義感という奴は?
権力のある人は、持つべきなのでしょうが、弱者が正義感とか持つと良いように利用されたり、やはり実利主義の人には勝てなかったりとか、不利な点が多いわけで・・・
というか、そもそも正義って、なんなの?って、そのこと自体が一番怪しかったりするわけで・・・
過去の歴史を見ても、正義とか称して、人を殺したり、自らの命を絶ったりとか・・・
そういった場合の正義感は、後から考えるととても馬鹿らしかったりして。人殺しを正義という名で弁護して、その行為を正当化させてしまう魔力を持っています。その事は、今なお世界中で行われています。
じゃあ、自分が正しいと思った道を進むのは、いけないことなのか?
うーん、たぶんそういう事になるのかもしれないですね。
自分で正しいなんて判断をしては、いけないし、正しい事なんてどこにもない。
まして正しい事を、人に指図されたり、強要されたりするのはもってのほかです。
では、どうすれば自分の進む道が見えてくるのかなぁ??
そのことは、実は日本人の古来からのテーマだったのかもしれませんね。
明治維新以降、アメリカのご都合主義的価値観の押しつけから、忘れられていたのかもしれない。
もともとの日本人が大切にしていた事、個を捨てる事と、型を大事にする事、
気をつけて欲しいのは、ここで言う、型と、みんなの言う型にはまるのは嫌だと言うのは、実は全く次元の違う話で、思考法がすっかり西洋化した今、説明には時間を要するのかもしれません。現状、そういう嫌悪感を抱く人ほど、実際は、どっぷりパターンにはまった生活をしていたりして・・。個性だ個性だ、と主張する人ほど、個性がなかったりして(これは余談)。人は習慣性の動物だから。
究極、思考を捨てたところから、新しい歩みが始まるのかもしれませんね。
なんかすごい事を書いたけど、実行できるかはなはだ怪しい。しかし、いい加減自分としても、新しい一歩を歩み出したいなと思ってまして、新年を向かえての抱負であります。まあ、テーマです。はい。
読んでいたてありがとうございます。みなさまに、よい年が、訪れますように!
森繁先生について追記
どうもマスコミの方のミスリードで、森繁先生が、何処にいても女たらしだったみたいな、印象になってしまっているようで、(汗)もちろん、ほんとの意味でのプライベートは、知りませんが、街中で見かけるような、セミプライベートの話をしますと・・・
先生が、女性の手を出すのは、現場でだけ?それはそれは、無茶しますが。
いったん仕事を終えて、プライベートになって、遊びに行く時は、女優さんは参加できません。それが、誰かの彼女であろうと、妻であろうと禁止だったのでは?例外は、付き人さんだけです。
遊の会は、そうそうたる顔ぶれでしたが、(各番組で主役や準主役を張っているような人達です)全て男性です。そして、ホテルに集合をかけたりします。みんな、仕事を調整してでも、集まってきます。そういう結束を大事にしていたのかもしれません。
ホテルに居合わせた、一般の人達はびびりますよ、なんちゅう顔ぶれですか!
何かあったんですかって!
いえいえ、ただ遊ぶために集まったんです。なんて、言えない雰囲気でした。
ホテル側も、気持ちよく場所を提供してくれていました。僕たち付き人用の部屋まで、用意してくれたりして・・・。そこは、もうほんとサミット会場です。日本を代表する俳優さんの付き人が、一カ所に集まって、情報交換をするわけです。この部屋に盗聴を仕掛けたら、芸能リポーターになれましたね。
たぶん同じような事が、先生を中心に遊びながら、情報交換や近況を語り合ったのだと思います。そこには、女優もマネージャーも入れない。まさに、俳優だけの集まりでした。事務所の垣根を越えて、俳優同士で、手を組み腕を組み、芸能界を良くしようとしていたのだと思います。そして、いっさい他言はありませんでした。僕たち付き人にも、何も知らされないまま、解散となります。
先生が多くの有名な、いけめん俳優たちと闊歩して歩く姿は、カッコイイの一言でした。
若い女性ファンに囲まれると、非常に機嫌が良かったです。・・・(そこは女好き)
そういう、粋な遊びをしていた時代ですね。
話は変わって、舞台の話ですが・・
先生は、いろいろな芸事を大切にしていて、例えば、太鼓を聞こうと言う事になる。
そうすると、鬼太鼓(おんでこ)の林英哲さんにきてもらう。しかも大型トレーラーをチャーターして、太鼓も舞台に運び込む。そして、目の前で演奏してもらう。これを、実は舞台が始まる前のセットを組む前にお客さんを入れないで、仲間だけで聞くのです。贅沢~!ある日は、平家琵琶を聞くぞとか、いろいろ。それはそれは、こんな幸せは芸事をしていてないですよね。
もちろん、そのあと舞台をやるわけですから、スタッフや僕たちは、鬼!とか言いながら、その後走り回ってましたが、今思えば、そんな機会は、先生以外に作る事が、出来なかったと思います。
こんなこともありました。あるとき、僕が今やってる舞台の現地に行っていろいろ見てきたいと言ったら、だったらこれをついでに町役場持って行けと、いろいろ渡されました。僕は、何も考えず、歴史の現場へ、そして町長さんと面会、森繁さんから託かりました。と書をいろいろわたしました。
それまで気づきませんでしたが、この時、僕は森繁先生のご名代と言う事になったわけですね。
そしたら、もう町長じきじきに一緒に公用車2台で、史跡巡りですよ。なんたるちあ、すごい接待されました!すげーうまいもんいっぱい食べられました!なんかすごい公式訪問みたくなって、現地の人に歓迎されるわ、なんか恥ずかしくなるわ、びっくりしました。ああ、やっぱり先生は偉大だなぁ。
と思いました。
ね、女性がらみの思い出は、ないんですよ~。誤解しないでくださいね。
森繁久彌先生と舞台
芸能人として、初めて文化勲章を受章した、いわばドン的存在だった俳優。もはや、故人となられてしまいましたが、一時代を築いた偉大な俳優で、あった事に違いはないでしょう。 演技のことは、この際どうでもよく、僕が思うのは、俳優としての立ち位置というか、生き様というか、帝王学というか、とにかく、先生のような俳優はいないし、これからも、もう生まれてこないだろう。
一つの時代が終わり、そして一人の俳優としての美学が、終焉を迎えたということなのだろうか。
実のところ、どう表現して良いのか分からない。
僕のような凡人に、芸能人という一つの人種のあり方を示してくれました。それまで、学校で習ってきたような、演技とか、道徳とか、常識とか、役者はこうあるべき的な、そんな事を全てまるめてゴミ箱に捨てられてしまったような、そんな感覚です。
とてもじゃないけど、尊敬できないし、くそじじいだな、と若い頃は思ってました。
ハチャメチャでしょういくらなんでも、・・・・
しかし、そこには確実に個性が存在していた。ゆるぎないエネルギーに満ちた役者が躍動していた!それを見て、観客は感動して、元気をもらっていた。これこそ、演劇の原点じゃないのか?
昔の映画は、元気があったという声は聞いた事があるでしょう?これですよね。
僕に、開き直る勇気を与えてくれた人でもあります。
先生は、役者の地位を守ろうとした人でもあります。日本俳優連合を作られました。
そして、遊の会(サミットみたいなもの?)を作り、役者同士の横のつながりを大切にしようとしていました。残念ながら、その意思は継がれることなく、今はもうないと思います。
僕のちからは、あまりにも小さくほとんど存在すらしていませんが、先生を見てきた生き証人として、少しでも先生の意思を継ぐような事が出来たら、いいなと希望的観測を持っています。(いえいえ、悪い事は真似しませんから~)
現状は、たてわり監理社会で、俳優よりも事務所の力のが強くなってしまって、俳優同士が横のつながりを持つ事は、凄く嫌われるし、個性は事務所で管理され指示されるものに、なりつつあります。全てがデジタル処理され、どこまでが魂の入った人物なのか判断が難しい時代になりました。自分が何処にいるのか、みんなは何処にいるのか分からなくなっていませんか?だから、アイドルは羽目を外すために麻薬に走るの?(暴言注意!これは、あくまでも個人的なかなり偏った一面的な一意見ですから、許してね。ごめんなさい)
時代の変化と、古き良き時代、僕たちは今、先生のような生き方を一つの例題として、もう一度、考える機会が必要なのかもしれませんね。
~思い出~
実は、先生と同じ舞台の時、先生の履く足袋は、僕の履き古しだったんですよ~。足の型がほぼ一緒だったのです。先生のこだわりから、新品を嫌って、良く洗濯されたものを要求していました。でも、衣装さん曰く、いくら洗濯してもねぇ~。ということで、内緒で、あらかじめ僕が、舞台で新品を履く事になったのです。僕の演技は、だめだめですが、僕の履く足袋は、ピカイチだったはずです。超気持ちよかったです。ちょっと、仕返しをした気分にもなれたしね。しかしいまでも、その足袋をはくと気持が引き締まりますよ、ほんと。
~思い出その2~
ある日、先生が松茸ご飯を差し入れしてくれました。ぼくは、生まれてこの方、松茸というものを食べた事がなかった。その思いを、こんこんと語り、今は出番があるから食べられないけど、絶対に残しておいてね、と言い舞台へ。そして、帰ってきたら、無残にも無かった!あまりのショックに、言葉を失い、その日一日誰とも会話を交わさなかった事が、ありました。
それを、聞きつけた先生は、次の日、僕を招待してくれて、松茸の丸焼きを食べさせてくれました!なんて、いい人なんだろうと思った事がありました~。しかも、美女付きでした(爆)
色々ありすぎて、このへんで・・・
心から、ご冥福を祈ります。
山田五十鈴先生と舞台
粋な女性を演じたら、田中絹代さんより上でしょう。美貌と魅力と技術と実力をかねそなえた稀な女優さんです。(個人的感想)
先生の魅力は、どこから来るのだろう?まさに、見て学べ的、教科書でありまして、先輩からよく「足のつま先まで芝居をしているから、よく見ておけ」と言われたものです。
女性をじーっと見るのは得意なので(別に変な意味で・・)、意味もなく近くに行ってウロウロしたものです。付き人は可愛いしね(あっ、これ基本ね)
ざくっと十年後のある日、僕は見た、これか!つま先まで芝居をしている!と思えた瞬間がやってきました。鳥肌が立つ思いでしたが、今こうして、だからどうと言葉にしてみろと、言われると何も表現できないのですね。これが・・・ね。、だから、見て学ぶしかないのかな??フー。
まあ、技術の話はさておき、先生の一番の良いところは、ずばり!すばらしく明るいと言う事です。まさに、太陽のような人ですね。舞台に出ている人、全員を包み込むことのできる明るさがあります。有名な女優さんは近寄りがたい人が多い中、(失言ですからね。分かってよ!)先生ほど、安心して近くにいられる人はありません、物理的にもね。
ある日、状況は説明しませんが、先生から「あなたの事、好きよ」って言われた事も!(はいはい、深く詮索しないの、つまらないからね。)冗談にも、こんな、端の端の端の役者に向かって、こんな暖かい言葉を言えるなんて!おお神様、仏様、山田様ですね。
おほほほほっ って、上品に笑います。結構、箸が転んでも笑って、くれます。
そうやって、あらためて思い返してみると、今でも思い出すだけで、腹を抱えて笑えるような舞台での事件は、実は圧倒的に山田先生の舞台上で起こっているんです!それは、たぶん、致命的なミスを犯した人を、怒らずに笑って許す先生の寛容さがそうさせているんでしょうね。
昔の映画は、見ていると役者として魅力だけではなく、技術を必要としましたね。この技術って奴は、時間のかかる代物で、役者はやはり育てないといけなかった。しかも、その技術だけで、お客を魅了させるものが有ったと思います。いってみれば、ストーリーなんでどうでも良いぐらい。見てて飽きさせない、そういうものを持っていた・・。やばいですね、これはちょっと、言い過ぎだ~やめときます。
間違えなく昭和を代表する大女優ですね。
百聞不如一見
「百聞は一見にしかず」というのは、中国のことわざで・・・。それから、芸能の世界で、よく、「見て学べ!」と言われて、やり方とか考え方とかを何も教えてくれなかったりしますが・・・。 この二つは、全然違う内容なんですけどね、どこか近いニュアンスもあるのかなと?考えちゃいました。
百聞は一見にしかずといえば、結果がすぐ出そうな話ですが、見て学べは、とてつもなく時間のかかる作業ですね。なにか一つ物にするのに、普通に10年くらいかかりますよね。
それでも、あえて見て学べと先人達が教えたのは、ケチなだけではなくて、たぶんそれなりの理由があるのでしょうね?一子相伝というわけでないのなら、言葉では伝える事の出来ない内容がいっぱいあるからだと、考えるのが自然なのかもしれません。そうしないと、本当の事が伝えられないと思ったのかも知れませんね。
さてさて、今回あらためて、考えたいのは、見ると言う事。江戸時代なら、ともかく現代は、見るという事の多様性がありすぎますね。映画、ビデオ、ネット、写真、といろいろ。
そういうわけで、見て学べは、現代においても同じ意味で当てはまるのかな?
中国語で、「見」という漢字は、会うという意味がありますね。
うん、たぶんこれじゃないですか?会って学べ!って事じゃないですかね?
百聞(いくら資料見たりやメールしても)は,一見(会って確かめたり行って確かめなよ)にしかず。
と勝手に、解釈を変えちゃいます。
僕の少ない経験からだと、例えば、いくら田中絹代さんが凄いからと言って、たくさん映画を見ても勉強できる事は、あまりないです。もちろん、所作とかは、むちゃくちゃ勉強になりますよ!
逆に、一緒に共演したことのある山田五十鈴先生からは、言葉に出来ない何かがありますね。単に、思い出なのかもしれませんが、財産だとも言えます。
現に田中さんは田中絹代だけど、山田先生って、先生としか呼べないですから。(弱)
だからって、そんな凄い人とは、そんなに多く会う機会はありませんよね。じゃあ、だめなの?
いやいや、きっと誰でも良いんですよきっと、誰でもどんな馬鹿な奴でも、得られるものがあるはず。そう信じて、もっと、もっと人と会って、コミュニケーションしましょうよ。いや、しなきゃいけないんだと思います。別に、女の子と遊びたいだけで、言っているんじゃないですよ。あれっ???
青年よ書を捨て、町に出でよ!って、やつですかね。
世の中便利になって、人と会わなくてもすむ事が増えましたが、実際に会うというコミュニケーション方法が、再認識されるようになる事を願っています。
もう一つ願わくば、近視眼的な物欲的に、メリットになる人としか会わないという狭い考えにならないように~って事も、付け加えちゃいます。(笑)
こう言わないと、僕なんか誰もあってくれませんから・・・・・(爆)。
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