モチベーションがあるとかないとか

2013-04-30

niwahana1

 レスリングがオリンピックの種目から外れるとか、話題になったときに、
 オリンピックに出られなくなったら モチベーションが保てないという意見が出た。
 これに対して、武道家である甲野善紀師が、武道を志す身にあって、
 オリンピックに出るとか出ないとかで、モチベーションが無くなるというのは、
 本末転倒の話ではないか、と問いただした。これにはもちろん賛否両論が出たわけだが、
 実に面白いところを突いた話だと思う。
 役者も、仕事が決まってないとモチベーションを保つのが大変だと多くの人が言う。
 役者は常に現場にいることが大事だとか、より多くの現場を踏まないといけないとか、
 そのように判で押したようにみんなが言う(故ミヤコ蝶々先生を除く)
 仕事など選んでないで、とにかく現場に出た方が良いという意見が多いわけです。
 僕もそのことで、よく若い人たちから説教されます。笑
 モチベーションの持ち方が悪い(そこまで言わないまでも違うのでは?)とね。
 もちろんこの事に関して、否定するつもりは、全くないしそういう立場にいない。

 しかし、ふと剣の道で考えた場合、現場(真剣の対峙)があることは
 大きなリスクとなる。真の武道家は戦いを避けることを大事とする。
 そして、戦いとなれば、進んで死を選ぶわけだ。(葉隠れ)
 死に直面する現場が、多かれと願う人は少しおかしい。
 つまり、剣を試すことが出来ないからとモチベーションが維持できない
 というのは、もはや心の問題であり、技の修練とは関係が無いのかもしれない。

 例えが極端すぎると、相変わらず、おしかりを受けそうですが、
 この考え方の違いは、なんだとうと考えたとき、
 結果を意識したかどうか、過程を大事にしているかどうか?
 もう少し、くだけて考えると
 評価されること期待しそれを前提にしているか否かなのだろうか?
 評価されないよりはされた方が、良いに決まってるのだから
 それを期待することが、何が悪いと安易に思うのかもしれない。

 しかし、その安易さこそが、本末転倒だと言われた由縁であると思う。
 だれかにご褒美をもらうために、する所業なのか否か?
 現代は結果社会(合理主義)だから、結果よければ良いじゃないかと
 多くの人は、おもう。結果が大事というわけだ。
 結果が同じなら、同じ物であると見なす、現代社会において、
 この価値観の見極めは、とても難しく、またそう教えてくれる先生もいなくなった。

 はっきり言うと、まったく違うのもだと確信に近い予感をこの歳になって
 やっと感じるようになってきた。
 その違いは、成功するかしないかではなく
 どう生きたか、自分と向き合ったかどうかの違いだと思う。
 なんか、無茶苦茶おおげさな話になってしまったが、(少し後悔している)

 しかし、この何をもって取りかかり始めるかという問題は、きわめて重大だと思う。
 そういった意味で、初心忘するべからずです。
 もちろん、僕はまだまだ未熟なので、その粋に達していません。(きっぱり)
 何度も何度も、初心に戻って、自分の方向性を確かめているのです。
 

 


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