1月, 2014年

付き人という立場からみた芸能界

2014-01-29

toho

 付き人というのは、舞台や撮影の現場で有名な俳優(師匠)さんのお手伝いをしている人です。
 場合によっては、そのまま本人も役者として出演したりもします。僕も、そうでした。
 ただ、イメージとしては、自分では仕事が取れない人、演技の勉強を兼ねている人。といった感じで、、
 つまり、俳優と言うよりは、小間使いのイメージが強く、演技が下手なくせにそこまでして仕事を取る?
 といった、負のイメージも強く。付き人が台詞とかしゃべって大丈夫なの?とはっきり、僕の前で
 言い切った、ある意味頭の悪い、でも一流のプロデューサーさんもいらっしゃいましたぐらいです。笑
 もちろん、付き人にはほんとうにいろんな形態が、ありますので一概には言えません。
 とりあえず、僕だけのお話と言うことで。。
 まあ、こういったことは実は、表面上のことでして、実際どうなの?という話です。
 まず、決定的にみなさんには理解しにくいだろうと思うところは、
 僕たちは、仕事中は家族よりも誰よりも師匠と一緒にいる時間が長いということです。
 朝から晩まで、一緒にいるわけですよ。
 飲みに行ったりしたら、それこそ、寝ている時以外はつねに一緒にいるみたいな。
 こうなってくるともう、信頼関係無しにはやってられません。(僕の場合はです)
 例えば、こんな感じ

 ある意地の悪い女優が、僕に関する告げ口を師匠にしたとしますでしょ。
 師匠:「おい、〇〇が、お前のこと、こんな風に言ってたけど、本当か?」
 僕:「師匠、、申し訳ありませんが、僕の言うことと、その女の言うことのどっちを信用しますか?」
 師匠:「・・・・・、お前の方だよ」
 僕:「だったら、そんな女優の言うことなんかに耳を傾けなくて良いです。おわり」

 この時、僕を信用しないと言ったら、即、荷物をまとめて帰る決意があるわけですよ。
 たぶん、師匠もその決意を感じとって、それ以上つっこめないのです。笑
 しかし、こういう関係じゃないとね、長いことやってられませんよ、この業界。
 逆に、飲み会とかで、師匠の演技の悪口とか始まれば、僕は、まっさきに宣言します
 「この話題をこの先も話したいのなら、僕は帰らせて頂きます。」
 師匠の看板を背負っている以上、同席はできません。てなわけです。格好いいこと言ってるのでは無く
 かならず、あとでチクる奴がいます。これこの業界のひとは気をつけて下さい!
 飲み屋で、自分の出ている番組批判をしないこと!!危ない、危ない。笑
 そんなわけで、僕が相当のへまをしても師匠は我慢強く信頼して待っているわけです。
 例えば、僕が寝落ちして、きっかけに間に合わなくとも、師匠は、大丈夫か?の一言です。
 楽屋に、有名人やプロデューサーが来たとき、僕がお茶や座布団を出さななくとも、
 師匠はその僕の判断を尊重して文句を言ったりしませんでした。(普通はだめでしょう)
 あっ、思い出した。僕の大好きな女優、大河内〇々子さんは、僕が撮影でお先に失礼しますと
 あいさつしたら、お付きの人に、私のことはいいから、ちゃんと近藤さんを撮影所の門までお見送りして、
 と付き人に言ってました。さすが、〇々子さん。萌
 こういう判断も、僕と師匠の間では、僕が決めていました。
 綺麗な女優さんは門までお見送りするわけです。(嘘です。そんなことしたら、師匠が嫉妬します。笑)

 こうした態度を付き人のくせに生意気だという人も多くいました。
 しかし、そういう助言は、家族には通用しないように、付き人と師匠というのは、二人にしか分からない。
 あうんの呼吸をお互いに作り出しているのだと思います。
 師匠だからといってなんでもかんでも、従っているわけではありませんでした。
 喧嘩を買って出るのも付き人の仕事だと言っていた人もいました。そうだと思います。
 付き人は、師匠の家族以上に、精神的にも支えていかないといけない場面もあるわけです。
 僕の師匠の兄は48歳という若さで、癌で他界します。
 その闘病の間、人間国宝であった父も他界します。
 その死は、兄に知らせることも出来ず、また兄の病気はマスコミには内緒でしたので
 そのお見舞いを兼ね、会いに行けるのは僕だけでした。
 当然、ご親族の辛さは、僕の所に重くのしかかってきました。でも、ここで冷静でいられるのは
 僕だけです。僕が冷静に行動しないと何も進まないとも思いました。
 おかげで、お葬式の時には涙も流さない冷たい付き人だと、多くの人は思ったことでしょう。

 ほんとうに、たいへんでしょう??
 それと同時に実は演技も、コントロールしていました。爆。師匠が聞いたら怒らるかな。笑
 芸能界は、褒め殺しがよくあります。特に僕の師匠は演技がうまいと定評がありました。
 完璧な芝居を続けると、ちょっとおごりみたいなものが見え隠れします。
 ぼくは、これが気に入らないのです。悦にいった芝居をしたときの俳優ほど醜いものはありません。
 あっ、これは僕の個人的な、価値観です。あしからず
 これ、難しいでしょう?良い芝居をしているわけだから、ダメの出しようがない。
 僕が、それにケチを付けたら、それこそ喧嘩になります。
 それで、どうするかというと、例えばこうです。

 僕: 「師匠、あの場面で荷物をテーブルに置くでしょう」
 師匠:「ああ、それがどうした?」
 僕: 「あの荷物の位置をもう少し前に出すと、下手のお客さんにもよく芝居がわかりますよ」
 師匠:「おお、そうか、やってみるよ」

 はい、これで完璧に僕の好きな芝居に変わります。絶妙のアドバイスですね。
 付き人は、師匠の芝居を客席からチェックしているんだと思わせたし、
 僕がそのことをチェックしていると、思ったので演技にちょっとした緊張感が足されます。
 ほんのわずかなことですけど、演技的には劇的に変わるわけです。
 これも毎日同じ芝居を見ているからこそできる芸当ですね。自画自賛

 ここで、内田樹氏の「他者と死者」からの抜粋です。

 弟子が師から学ぶのは実定的な知識や情報では無い。無限の叡智を引き出すための「作法」である。
 「作法」とは私たちが星を見上げるときの視線の仰角に似ている。
 芸道において、「指を見るな、月を見よ」ということがよく言われる。私たちが師から受け継ぐのは、
 師が実定的に所有する技芸や知見ではない。そうではなく、私たちの師がその師を仰ぎ見たときの
 視線の仰角である。師がその師を星を見上げるほどの高みに仰ぎ見ている限り、
 仮に私の師と私の間の間にどれほどの身長差があっても、仰角のぶれは論じるに足りない。
 視線の角度は正しく継承され、私はそれを次代に相伝することができる。

 芸能人としては付き人をしたおかげで、かなり遅れをとったのかもしれない。
 しかし、僕たちは付き人という関係の中で、師匠と共に成長してきたと確信している。
 それは、もう端からは理解不能なのかもしれない。
 そして、世間のステレオタイプの評価とは、関係なく
 付き人の人生があり、それなりに奥の深いドラマが展開されているということ
 またなによりも特質すべきは、こうした関係は他では味わえない
 仕事を越えた、人と人のつながりを経験できる仕事なのかもしれないということです。
 自己弁護に聞こえてしまったら、ごめんなさい。

 そして、言っておきますが、付き人を甘く見ないほうが良いですよ。
 パリのバレエの新人をプチハ(子ネズミ)と言いますが、
 まさに付き人は撮影所や劇場の子ネズミのような存在です。
 一致団結したとき、その躍動感は、劇場を揺るがすほどの存在になります。
 そして、敵にまわせば、どんないたずらだって仕掛けられるんですよ。怖いでしょう。笑

 そうそう、そして最後にある女優と付き人の関係をみごとに描いた映画があります。

 「華麗なる恋の舞台で」、おすすめです。この映画の中に出てくる女優と付き人の関係に
 嘘が感じられません。すばらしいです。付き人を経験した人しか知り得ないような内容になっています。

 

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