正座について、考える

2012-03-31

kankoku

 正座については、もちろん諸説あるわけで、なにがほんとなのかも解りませんが、一般的に僕と同世代の人間に、正座って良いよね、と言えば、うん良いよねとかえってくる。しかし、子供には、進めないと言う。なぜ?と聞くと、必ず、がに股になるから、足が短くなるから、膝に良くないから・・といった理由がかえってくる。結果として、正座はしなくなる方向にあるようだ。もう、正座が出来ない子供もいると聞く。
 明治維新が、徳川幕府の全否定から、始まり現在に至っている事を考えれば、江戸時代に広まったと考えられる正座は、現政府(いまだに維新を名乗る西軍があるようですが)にとって、やはり憎むべき文化の一つなのかもしれない。そういった側面から、考えると少し面白いことに気付く。
 まず、なぜ徳川は、正座を進めたのか?それは、ひとえに国民の足を奪うことが目的だったのかもしれない。朱子学を官学にすえ、正座をすすめた。両足を折りたたみ動くことを封じ込めた。このことは、後に西南の役で、民兵が走ることが出来なっかったことで実証された。このあと、慌てて西洋式の軍隊の行進を取り入れることになり、急速に生活様式を西洋化していったのである。
 しかし、その反面、徳川が意図したかどうかは、別として、他の作用を国民にもたらしていった。手や足や言動を封じ込められ、しかも19世紀の強力なヨーロッパの影響からも隔離され、人は向かうところを、人間の内面に求めるようになった。そして心の充足に文化の土台を築くようになった。武道と呼ばれるものはすべて、神社かお寺に籍をおくようになる。技は心と一緒に磨くものになった。やがて、人々は、わび、さびなど、究極の質素なる快楽を見いだし文化として残していった。
 明治維新以降、人々は足を取り戻した。今では好きなときに、好きな国へ行くことができ、手や足や自由な思想を持つことに喜びを見いだしている。西洋の文化もすごい勢いで、日本に入って来た。啓蒙思想が、台頭しやがて現在の拝金主義に至る。
 明治政府はそれでも、反幕府をやめない。畳を不衛生だと排除し、老人にやさしくないと言って、玄関を低くし、いづれ靴のまま、部屋に上がれるよう準備を進めている。(もし、銀座の新歌舞伎座に下足番が、いなくなるような楽屋になるのなら、、、それは恐ろしいほどの西洋化である)
 合理主義が、便利な生活や華やかな生活を作り出してくれたのは、分かる、しかし、うすうす気付いている人たちもいるとおもうが、生活は便利になったが実際生活は豊かになったのだろうか??
 便利さが豊かさを運ぶと思われていた時代は、とっくに終わっていないだろうか?
 そして、飛躍的に便利になったこの百年の間に、文化を創ることができたのだろうか?
 そうなんだとおもう、この百年間の間に文化を創ることが出来ていたのなら、生活も便利さとともに豊かになっていたはずでしょう。しかし、それが、出来なかった。なぜなんだろう。その事を深く考えることは、私たちが今後このこの国を生きていくに当たってほんとうに重要なことだと思う。一つ言えることは、文化は人が創るもので、マスコミが作るものでも、まして機械つくるものでもないということ。もう鎖国は赦されない、それどころか、現政府は最後の仕上げとして、TPPの参加に向けてまい進している。もう、時間は残されていない・・・。

 西洋化された生活が、文化になってないなと痛感するとき、僕だけかもしれないが・・・
 例えば、ソファーに腰掛けたときの所在なさにくらべて、畳の上に正座したときの安心感は比べものにならないような気がする。ソファーでは、あまりの心細さに足を組んでしまいたくなる衝動に駆られないか??
 椅子の生活を文化にまで、高めることが出来ていないのだと思う。
 文化を見失ってしまった国民は、日本だけなのかもしれない。もっとその事に危機感を抱きたい。そして、僕は、なぜか三河に生まれてしまった。ということは、今、正座を佳しとする気持ちも、なにかの運命かもしれない。そう、思いつつ、新しい文化の創造と、古い文化の研究をつづけて行くことにします。

 


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