演劇という方向性
小劇場の演劇は趣味なのか、仕事なのかという事について議論を戦わせていた。
ギャラが無いわけだから、趣味だという意見と
お客さんからお金を取っているんだから、趣味とか言うなという意見
微妙に論点がずれているから、もちろん意見はかみ合わない。
みなさんは、プロという自負を持って舞台を踏む。
じゃあ、プロってなんだろうって、考えたとき単にお金を稼いでいるから
という理由なら、演劇論は不毛だろう。
「そんな考えだから、あんたは売れてないんだよっ」て、言葉でおわるから。
それなら、あらかじめ所得順に考えを述べておけばよい。
プロという言葉が、理想という言葉と裏腹に使われている以上、話し合うことは無い。
商業主義、拝金主義、資本主義、お客のニーズに応える。。。云々
そこから、脱却できなければ、議論として先へ進まないような気がする
もちろん、稼がないといけないし、稼がないと輝いていられないのかもしれない。
その不安定さと、不確定さゆえに、さらに考えを頑固な物にしていくのかもしれない。
そして、現場の活躍している人のアドバイスが、歴然と正義感をおび、響いてくる
だから、余計に混乱する、みんな有名になりたいし、稼ぎたいから。
僕は、演劇を通して、日本文化を語れたら良いなって、漠然と考えているのだけど
ひょっとしたら、演劇をしている人が一番、文化から遠い存在なのかもしれない。
それほど、日本の政府は、演劇人を精神的に追い詰めているのだろう。
高額な入場料を取って、これは趣味ですからと開き直られても困るだろうけど
友達にチケットの購入をを頼んでおいて、プロですと言われてもどうかと思う。
稼いでいるかいないかは、別の話と言うことにしていただければ
要は、お客のニーズに応えるのか応えなののかが、テーマなのだろう。
冷静に考えれば、簡単だ、お客さんのニーズは、無視するべきだろう。
百人の人が集まれば、百人の人のニーズがある。それにフィックスするのは無理。
え~。娯楽なんだから、お客さんに喜んでもらわないと、ダメでしょう。??
だったら、有名人使って、でかい劇場ですればよい。
有名人というニーズは、百人が百人納得できるニーズだからだ。
それは、あたかも役の人物を演じるのではなく、有名人を演じているわけで、
役のキャラよりも、その人のキャラが勝っているから成立するのですね。
無名な人は、そう簡単ではない。たとえば、ロミオとジュリエットのジュリエット
お客さんのニーズは、厳しいぞ、オリビアハッセーだ、そんな16歳どこにもいない。
当然、違和感を抱くだろう。お客さんのイメージは、多種多様だ。
要するに、お客さんのニーズに応えていたら演劇が成立しなくなるから
逆に、こちらからソリューションを提示していくのが自然だろう?
こんな娯楽も有り、楽しめますよとお薦めしていかないと難しいはなしです。
演技がうまいとか、下手とかよく言うけど、そんなのほんとにあるのかな?
そんなことを思う。
君は芝居が下手だなと言われる。じゃあ、誰がうまい俳優ですか?と聞く?
返ってきた答えが、大嫌いな俳優だったら、どう思いますか?
良いよね~と、いわれている人が自分が目指す演技でないとしたら?
良いといっている人が、ダメなの?自分がダメなの?難しいですよね。
これも有名人なら、どうでもよい事なのだけど、それじゃあ、話にならないね。
時々思う。誰かの真似をすると、うまいと言われることが多い。
自分の思った通りの事をすると、下手と言われることが多い。
これってさぁ、ひょっとしたら、見る人が単に過去のデータに照らし合わせただけ?
そのデータが照合されて違和感なければ、うまい。と評価する?
ジュリエットを演じるときオリビアハッシーの真似をすればよい芝居?
もし、そうだとしたら、下手ってなに?単にオリジナリティが有り過ぎるだけかも
だからさ、下手だねって言われても、落ち込むことはないと思いますよ。
もっと、言ってしまうと、演劇を良いとか悪いとか、評価させたらだめですよね。
そう、評価させない芝居!って、なんだ~?
お客さんは、ただ漠然と芝居を見て、納得して帰る。善し悪しは無し。笑
さて、お客さんのニーズの多様性は良いとしても
演じる側の俳優も、表現したいニーズがまったくそろわない。笑
ほんと、笑うぐらい違う。しかも、頑固に違う。
お客さんには新しいソリューションを提示すれば、納得してくれる可能性があるけど。
役者には、その寛容さすら無い様な気がする。しかも、目標が売れること
つまりが、商業主義であったり、有名志向であったりして、協調性はない
競演であって、共演できない。もちろんそうでない劇団もあるでしょうが、
その場合、だいたい劇団自体が商業的に成功をおさめているか
ある強烈な独裁者を擁しているかのどちらかでしょう。極論ですよ。
普通に集まれば、烏合の衆となりやすい。
さあ、大変だ。どうします?
一つにまとまるための宗教も無ければイデオロギーもない現代。あるのは金だけ。
しかし、小劇場に一番欠落してるのが、そのお金。
もうこうなったら、ひとつにまとまろうなんて、幻想は捨てた方が良さそうだ。
烏合の衆は、そのままカオスとして、浮遊するエネルギー体として動く。
エントロピーは、増大しながら、ヒッチコックの映画のように、一つにまとまる。
それを可能にするのは、その潜在能力を持っているのは、まぎれもない日本人だ
戦国時代の武将は、それをやって実現した人たちなのかもしれない。
欲望という名の電車から降り、混沌の河を渡るのだ、そして、血からをもらい伝ふ。
さあ、パラダイムシフトの始まりだ、わくわくするぞ。
無茶苦茶な内容になってしまった。かなり妄想してしまった。
勝手な長いつぶやきでして、関係団体、知り合い等、まったく関係のない話です。
ごめん