情報化社会の中の映画
今回の原発爆発のように、僕たちがもし、マスコミやネットからの情報が得られなかったら、
たぶんなにも知らなかった。そして、放射能の怖さも、知ることは無かった。
その恩恵は、すばらしいもののはずであるが、その反面、
原発がそんな危険だなんて事実も、故意に知らされてこなかった。
きっと、誰もが情報というものの本質を考え直させられたのではないでしょうか
現代社会に於いて、もはや情報なしに生活していくことは、非常に困難を伴うでしょう。
1995年の月刊アスキーに脳型コンピューターを作ると言う企画特集がありまして、
大変面白かったのですが、その中に、人は食べ物を食べて生きていると考えられてますが
同じように、情報も食べて(処理して)生きています。これらがすべて遮断されると
脳は停止してしまい。やがて死を迎えます。とのことでした。
なるほど、情報とは、大変重要なものなんだと再認識した記憶があります。
でも、あらためて冷静に考えてみると、
この本に書いてある情報とは、五感もしくは六感から得られる情報の事ですよね。
そして、今僕たちが情報と言っているものって、ひょっとして視覚と聴覚からしか得てない
もし、食べ物にたとえるなら、これって栄養が偏ってませんか?と単純に考えてしまう。
漠然としか、言いようがありませんが情報の取り方のバランスが悪くないの?
ネットやテレビから、情報を得るのは良いけれど、ほどほどにしないと身体に悪そうですね
ところで、映画も視覚と聴覚だけじゃないですか~
しかも、最近の技術の進歩は凄いのですが、それらは、真実を伝えるために使われるのでなく
人を騙すためだけに使われている。そんな気がする
映画も、マスコミと同じように、やがて行き場を失って、行き詰まってしまうのだろうか
映画が誕生して、なんとか真実を伝え残そうと努力した、そんな時代に戻って
できるならば、ほかの五感も刺激できるような、そんな映画を作れたら、
すこしばかり明かりが見えてくるような気がする
最後に、身体教育研究所の野口さんが言ってた言葉、
人は、食べ物を食べて生きていると考えられてますが、
じつは、文化を食べて生きているんです。
頑張ろっと。
注意、僕の勝手な考えでした。映画もマスコミも行き詰まってません、超繁栄してます。
ごめんなさいでした