森繁久彌先生と舞台

2009-11-11

kaki2

 芸能人として、初めて文化勲章を受章した、いわばドン的存在だった俳優。もはや、故人となられてしまいましたが、一時代を築いた偉大な俳優で、あった事に違いはないでしょう。  演技のことは、この際どうでもよく、僕が思うのは、俳優としての立ち位置というか、生き様というか、帝王学というか、とにかく、先生のような俳優はいないし、これからも、もう生まれてこないだろう。

 一つの時代が終わり、そして一人の俳優としての美学が、終焉を迎えたということなのだろうか。

 実のところ、どう表現して良いのか分からない。

 僕のような凡人に、芸能人という一つの人種のあり方を示してくれました。それまで、学校で習ってきたような、演技とか、道徳とか、常識とか、役者はこうあるべき的な、そんな事を全てまるめてゴミ箱に捨てられてしまったような、そんな感覚です。

 とてもじゃないけど、尊敬できないし、くそじじいだな、と若い頃は思ってました。

 ハチャメチャでしょういくらなんでも、・・・・

 しかし、そこには確実に個性が存在していた。ゆるぎないエネルギーに満ちた役者が躍動していた!それを見て、観客は感動して、元気をもらっていた。これこそ、演劇の原点じゃないのか?

 昔の映画は、元気があったという声は聞いた事があるでしょう?これですよね。

 僕に、開き直る勇気を与えてくれた人でもあります。

 先生は、役者の地位を守ろうとした人でもあります。日本俳優連合を作られました。

 そして、遊の会(サミットみたいなもの?)を作り、役者同士の横のつながりを大切にしようとしていました。残念ながら、その意思は継がれることなく、今はもうないと思います。

 僕のちからは、あまりにも小さくほとんど存在すらしていませんが、先生を見てきた生き証人として、少しでも先生の意思を継ぐような事が出来たら、いいなと希望的観測を持っています。(いえいえ、悪い事は真似しませんから~)

 現状は、たてわり監理社会で、俳優よりも事務所の力のが強くなってしまって、俳優同士が横のつながりを持つ事は、凄く嫌われるし、個性は事務所で管理され指示されるものに、なりつつあります。全てがデジタル処理され、どこまでが魂の入った人物なのか判断が難しい時代になりました。自分が何処にいるのか、みんなは何処にいるのか分からなくなっていませんか?だから、アイドルは羽目を外すために麻薬に走るの?(暴言注意!これは、あくまでも個人的なかなり偏った一面的な一意見ですから、許してね。ごめんなさい)

 時代の変化と、古き良き時代、僕たちは今、先生のような生き方を一つの例題として、もう一度、考える機会が必要なのかもしれませんね。

~思い出~

 実は、先生と同じ舞台の時、先生の履く足袋は、僕の履き古しだったんですよ~。足の型がほぼ一緒だったのです。先生のこだわりから、新品を嫌って、良く洗濯されたものを要求していました。でも、衣装さん曰く、いくら洗濯してもねぇ~。ということで、内緒で、あらかじめ僕が、舞台で新品を履く事になったのです。僕の演技は、だめだめですが、僕の履く足袋は、ピカイチだったはずです。超気持ちよかったです。ちょっと、仕返しをした気分にもなれたしね。しかしいまでも、その足袋をはくと気持が引き締まりますよ、ほんと。

~思い出その2~

 ある日、先生が松茸ご飯を差し入れしてくれました。ぼくは、生まれてこの方、松茸というものを食べた事がなかった。その思いを、こんこんと語り、今は出番があるから食べられないけど、絶対に残しておいてね、と言い舞台へ。そして、帰ってきたら、無残にも無かった!あまりのショックに、言葉を失い、その日一日誰とも会話を交わさなかった事が、ありました。

 それを、聞きつけた先生は、次の日、僕を招待してくれて、松茸の丸焼きを食べさせてくれました!なんて、いい人なんだろうと思った事がありました~。しかも、美女付きでした(爆)

 色々ありすぎて、このへんで・・・

 心から、ご冥福を祈ります。

 

 


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