芸名について、考える
先日、落語を聞きに行った時に聞いた話ですが、落語家さんの芸名は、先輩が付けるそうで、自分では選べない。「それで、こんな名前付けられて、終わったと思いました。」笑なんて、言ってました。
最近Facebookを始めたら、本名で登録してしまって
本名と芸名が、交錯する状態になってしまい、
ふと芸名ってなんだろうって、考えてしまいました。
実は、僕の芸名も他の人に付けて頂きました。
やはり、自分の芸名を見たときは、それなりの違和感がありました。
この違和感は、実は大事なことではないかと最近思うのです。
日本の芸能は、元々自分の意志で自分の芸名を決めていないのでは
芸名が当たり前の世界と言えば、能、歌舞伎、落語、相撲、行司、僧。。
これらの芸名とは、自己主張のためではなく、どちらかといえば逆で
自分との別離を意味するのではないのでしょうか??
能に至っては、世阿弥陀仏だとか、観阿弥陀仏とか、もう現世の人ではないのです。
お坊さんも、俗名を捨てるのは、世俗に未練を残さないためだそうです。
演劇も、元をたどれば、政(まつりごと)、祭りごとから、始まったようだし。
今のとなっては、ただの娯楽となってしまったのかもしれませんが、
それでもやはり、長い歴史を考えれば、僕は、気軽に、この一線を
お金のためとか、快楽のためとか、今だけの事を考えてとかで、
踏みにじっては、ならないような気がしています。
役は、頂く物であって、自ら得る物ではない。そのためにまず自分を捨てる
芸名にすることは、自分を捨てる第一歩だったのかもしれない
そう思うことで、自らの身を引き締め、先人たちの知恵にあやかって
もう少し、この難解な演劇という奴を掘り返してみたいと思うのです。
そして、もし僕が、ある掘り起こしてはいけない物を掘り起こしてしまったとき、
身代わりになってくれるのも、この芸名である僕なのかもしれない
パンドラの箱は、もう開いている